私は時間を守れない人間と付き合わないようにしている。
正確に言うと一定の距離を置いている。
理由は簡単で時間を守れない人間は何事に対してもルーズであり且つ私自身の時間すら奪われるからだ。

例えば就職面接に遅刻してきた応募者がいたとする。事前に何の連絡もなしに。
その応募者は受かるのだろか。受かるわけがない。

ごめんで許されるのは学生まで

遊びでもデートでも「ごめんなさい」と誠意を込めて謝れば大抵の場合許される。
それは学生までの話だ。

なぜ私はこれほど時間にうるさくなったのか考えてみた。

当然大きな理由がある。

私は20代まで時間にルーズだった。単なる遅刻魔とかその程度の次元ではない。
中学、高校は一限から授業があるためみんな時間通りの学校に来るわけだが
私の場合は時間通りに学校に間に合ったのは一限が体育の時ぐらいだった。
理由はシンプルで体育が大好きだったから。

三学期のある日担任に言われた。「お前1年間で遅刻した回数何回ぐらいだと思う?」と。
「20回か30回ぐらいじゃないですかね〜」「ふざけんなよお前、、、260回遅刻してるから」とのご返答を頂きました。
計算したらほぼ毎日遅刻していたのだ。

彼女と待ち合わせの時も同じだった。毎回遅刻、遅刻、そして遅刻。
何人に何回謝ったのか、、、。数えたら倒れそうになった。

そう、あの時の私は人生そのものを舐めていたのだ。
自分の性格は自分が一番理解している。
時間に粗略だったあの頃は自分に甘く相手を思いやる気持ちが大きく欠落していた。
そんな自分の性格が多くの大切なものを失って気付いた。時間の大切さに。

なぜ人間は時間に厳しいのか?

日本人はおそらく世界で一番時間に厳しい国だ。
私の経験上の話だが日本とドイツは集合時間に厳しい。
10分前集合は当たり前とされる。遅刻の理由は言い訳と解釈される。

一方アメリカ、カナダ人辺りは会議の終わり時間にとかく厳しい。
どんなにヒートアップした会議でも会議時間ピッタリに終了しそのあとは後腐れなく会話を始める。

集合時間に厳しい日本人、終了時間に甘い日本人なのだ。

「時間」という「現実」を甘くみてはいけないということだ。




時間を守る